History of bimota

70's 創世 すべての始まり

1972年9月、ミザノ・サーキットで一台のHONDA CB750がクラッシュした。ライダーはマッシモ・タンブリーニ。三本のあばら骨を骨折する大怪我は彼とモーターサイクルを分かつ事なく、より一層の情熱を生み、ここにbimotaの伝説が始まる。

ヴァレリオ・ビアンキ(Bianchi)、ジュゼッペ・モッリ(Morri)、マッシモ・タンブリーニ(Tamburini)。三人の創設者の名字から名づけられたbimota社は、主に空調設備を製作する会社として1966年に設立される。しかしタンブリーニはもともとの趣味であったモータースポーツにより深く傾倒していき、いつしかそれは本業に差し障りが出るほどになっていった。

1972年の大事故により、周囲からレースを退くよう強く懇願されたタンブリーニは、ライダーではなくコンストラクターとしての道を見出す。以前勤めていたピアジオの修理工場での経験と、空調設備でも必要なパイプ加工技術により、オリジナルフレームを創り始めたのだ。純正品に対して高剛性、軽量、低重心を実現した美しい仕上げのフレームと、ハイパフォーマンスな日本製エンジンのマッチング。当時エンジンパワーに対し車体が負けていた日本製量産車を、全く別物へと変えてしまう技術とセンスは、全てのレーサーにとって“必要不可欠なもの”となり、“モーターサイクルのあるべき姿”となった。 エンジンメーカーHONDAの“H”と、フレームメーカーbimotaの“B”により、“HB1”と名づけられたその10台のマシンから、モーターサイクルメーカー“bimota”の歴史が始まった。

80's 栄光と変革

70年代の世界GPにおいて、ヤマハ、アエルマッキ・ハーレーをはじめとするbimota製フレームを用いたマシンは多数活躍し、世界タイトルをも獲得していたが、公式記録としてbimotaが栄誉を受けることはなかった。しかし1980年、ジョン・エケロルドのライディングによるYB3が世界GP350ccクラスを制し、小さな町リミニに本拠地を置く会社に大きな勲章をもたらした。

1983年、経営担当のモッリとの意見の不一致によりタンブリーニが会社を去り、才能溢れる若いエンジニア、フェデリコ・マルティーニが起用される。美しい多鋼管トラスフレームにDUCATI製 750ccエンジンを搭載した斬新なフルフェアリングモデルDB1、アルミニウムツインスパーのYB4など、独創性の高いモデルを次々と開発。その性能、品質、デザインが高く評価され、商業的にも大きな成功を収める。

1987年、bimotaはもう一つの大きな栄冠を手にする。YB4Rを駆るヴィルジニオ・フェラーリが、現在の世界スーパーバイク選手権の前身である、TT-F1世界選手権にチャレンジ。挑戦初年度にもかかわらず年間3勝を上げ、タイトルを獲得する。世界中のメーカーによりプロダクションバイクで争われるTT-F1における勝利は、bimotaの高い技術力を証明した。

bimotaの歴史に新たな栄光を築いたマルティーニではあるが、1989年bimotaを去ることとなる。マルティーニをサポートしていたピエルルイジ・マルコーニが、テクニカル・ディレクターとして新たに就任。世界中に衝撃を与えるニューモデルと共に、新時代を迎えることとなる。

90's 先進とその代償

1990年コローニェ・ショーで発表されたTESI 1Dは、圧倒的な存在感を発していた。ハブセンターステアリングを用いた独創的な車体は新時代の到来を告げる物で、理想を追求する真摯なもの造りは高い評価を受け、ディレクター、ピエルルイジ・マルコーニの名は世界中に広まる。その後もマルコーニはDUCATIエンジン&トラスフレームのDBシリーズ、アルミツインスパーのYBシリーズ、bimota最大のヒットとなったSB6等精力的に開発を続けた。

1995年には1250台と生産台数を倍増、1996年には創立25周年を記念して、ミザノにあるサンタモニカサーキットでワールドミーティングを行い、世界中から“BIMOTISTI”が祝福の為に集まった。bimotaは大規模なメーカーへと着実に成長していく。

90年代も後半を迎える頃、bimotaの完全自社設計マシン500 Vdueが生まれる。デザイン:セルジオ・ロビアーノ、設計:ピエルルイジ・マルコーニ によるこのマシンは、公道を走るGPマシンとして設計された。筒内直噴式フューエルインジェクション2サイクル2気筒500ccエンジンという最先端のマシンの発表にファンは歓喜し、幸運なファンの元へマシンはデリバリーされた。しかしそれらは製品として完全ではなく、結果全てのマシンをリコール、bimotaは深刻な財政難へと陥ることとなった。

2000's 伝説の終焉、そして今

bimotaにとっての新世紀は、明るい幕開けとなった。新しい経営陣のもと、アルミニウムツインスパーとカーボンスイングアームピボットという世界でも類を見ないコンポジットフレームを持つSB8Rをトップモデルとし、マニアックなファンをうならせるマシン造りを行った。

11年のブランクの後bimotaは“世界の舞台”へと帰ってきた。最速のプロダクションバイクを決定する、世界スーパーバイク選手権である。チームは運営:ヴィルジニオ・フェラーリ、監督:フランコ・ファルネ、ライダー:アンソニー・ゴバート、マシンはSB8Rの進化型であるSB8K。2000年南アフリカ・キャラミでの第一戦で12位を獲得、その2週間後のオーストラリアGP・フィリップアイランドで劇的な勝利を収め、世界中の“BIMOTISTI”に最高のイースターをプレゼントした。しかしレースでの素晴らしい活躍とは裏腹に、90年代末からの積み重なる負債の傷跡は深く、bimotaは公式に破産宣告を受ける。工場は閉鎖され、スタッフは去り、伝説の第一幕は閉じられた。

2003年、bimotaはついに復活を果たす。新しい経営陣と、再び集まった優秀なスタッフはモーターサイクルの歴史にbimotaの名前を改めて刻むという目標を立てた。その努力は早くも結実し、セルジオ・ロビアーノのデザインによる新生bimotaのニューモデル、DB5 MILLEがインターモトにおけるモーターサイクル・デザイン・アワードを獲得する。これによりリミニの歴史ある会社の壁に新たな勲章が加わった。

bimotaは帰ってきた。そしてまた、新たな伝説が始まる。

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