1972年9月、ミザノ・サーキットで一台のHONDA CB750がクラッシュした。ライダーはマッシモ・タンブリーニ。三本のあばら骨を骨折する大怪我は彼とモーターサイクルを分かつ事なく、より一層の情熱を生み、ここにBIMOTAの伝説が始まる。
ヴァレリオ・ビアンキ(Bianchi)、ジュゼッペ・モッリ(Morri)、マッシモ・タンブリーニ(Tamburini)。三人の創設者の名字から名づけられたBIMOTA社は、主に空調設備を製作する会社として1966年に設立される。しかしタンブリーニはもともとの趣味であったモータースポーツにより深く傾倒していき、いつしかそれは本業に差し障りが出るほどになっていった。
1972年の大事故により、周囲からレースを退くよう強く懇願されたタンブリーニは、ライダーではなくコンストラクターとしての道を見出す。以前勤めていたピアジオの修理工場での経験と、空調設備でも必要なパイプ加工技術により、オリジナルフレームを創り始めたのだ。純正品に対して高剛性、軽量、低重心を実現した美しい仕上げのフレームと、ハイパフォーマンスな日本製エンジンのマッチング。
当時エンジンパワーに対し車体が負けていた日本製量産車を、全く別物へと変えてしまう技術とセンスは、全てのレーサーにとって“必要不可欠なもの”となり、“モーターサイクルのあるべき姿”となった。
エンジンメーカーHONDAの“H”と、フレームメーカーBIMOTAの“B”により、“HB1”と名づけられたその10台のマシンから、モーターサイクルメーカー“BIMOTA”の歴史が始まった。 |
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